はじめに
こんにちは。
ぎりぎり現役小学校教員です。
令和5年度実施の教員採用試験の志願状況を見ると、倍率が2倍をきっているところがちらほらどころかたくさん見られます。本気で教員になりたい人にとっては広き門になることはうれしいことですが、子どもたちや保護者にとっては不安要素であると思います。
では、なぜ教員を志願する人が年々減っているのでしょうか。また、辞めていく人が後を絶たないのでしょうか。個人の見解を書き残しておきます。
古い文化が継承されてしまう体制
忙しすぎるのです。忙しいのは、「そうせざるを得ない」が多いから。
プールで子どもに事故があれば、管理責任を問われます。当然、させているわけなので責任はあります。しかし、安全のためにやらなければならないことが山のように増えます。水泳を教員が教えなければならない時代は終わったのではないでしょうか。
雪国だと、スキーやスケート教室も行うところがあります。私の地区では、スキー指導を保護者に頼んでいるため、計画を立て、連絡をするという業務が増えます。また、保護者はスキーよりもスノーボード経験者が多いため、指導者の確保が難しく、職員総出で電話をかけてお願いをしなければならない始末。
仕事が降ってくる職員室
職員室の自分の机をいくらきれいにして帰っても、次の日にはプリントが3枚程度のっています。必要かどうかわからないアンケートも山のようにあります。電話が夜遅くまで鳴ります。電話の近くに席がある私は、出なければならない圧力を感じて、手を止めて立ち上がり電話を取ります。連絡をつないだ後席に戻り、仕事を再開するも、思考が一旦止まってしまっているため、リスタートに時間がかかってしまいます(私だけかもしれませんが…)。
PTAの早朝作業で休日出勤した日は、ついでに残務をしようと職員室の席に着くと、次から次へとしなければならないことが湧いて出てきて、結局平日と同じように働いてしまうこともありました。
お休みしている先生の仕事を管理職から頼まれることもあります。とにかく、職員室にいると、エンドレスに業務をこなすことになります。クリエイティブな思考は絶対にできません。まとまった「考える時間」なんて与えられませんので。
みんなで「同じ」をして安心…
日本の教育は、「良かれと思って」保護者や子どもにサービスを与えすぎました。だから保護者は学校に言われないと不安になる性質になっている方が多くいます。なぜ、下校した後の学校から手が離れているはずの子どもたちの、家に着く時間を、学校が考え、周知、統一しなければならないのでしょうか。保護者の責任のはずです。家庭で相談してまちまちでよいはずです。そろえてもらえば安心なのはわかりますが、教員の仕事ではないはずです。
宿題が多い、少ない…クラスによって差があると、保護者からクレームが入る。学年団で宿題の量を相談してあっという間に17:00…。でも、よく考えると、人によって適量は違うはずです。だから決まった量の宿題ではなく、「家庭学習の習慣」をつけることに絞って、自主学習のみで良いのではないか、と思っています。
「保護者を安心させるために」「決めること」は、教員の仕事でしょうか。忙しすぎて正しいことを考える時間がない教員のいうことを聞くよりも、保護者が自立・自律できる仕組みに変えてほしいと思います。これは、文部科学省や都道府県、教育委員会の仕事です。
頑張っても頑張らなくても、かわらない報酬
どんなに子どもを伸ばしても、どんなに素敵な発表をしても、どんなに休日返上でがんばっても、報酬は同じです。
若いころは、自分の教員としての力が伸びていることが喜びとなり努力できました。ですが、周りのベテラン教員、指導力がないわりに、職員室ではゲームの話ばかりしている若手などをみていると、自分がこれまで必死に身に付けてきたスキルは、身に付けなくても給料は同じなんだな、と感じ、バカバカしくなってきます。
かっこ悪い最終形態
上でも軽く触れましたが、ベテラン教員、管理職を見ていてワクワクしません。
いったい今まで何を学んできたのだろう…。自分もこの環境にずっといると、こんなつまらない大人になってしまうのだろうか。管理職は、子どもにとって良くない教員も守らなくてはならないのか。
まとめ
子どもに罪はありません。
子どもが将来幸せに生きていくためのベースを育てるべき義務教育段階。ですが、「自分のため」に働く教員たちや保護者たちが、このままではどんどん増殖してしまいます。
「足を洗おう」
真剣に考える教員は、私だけではないはず…。

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